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作品情報

忠臣蔵(1959)

◇基本データ

タイトル忠臣蔵(1959)

公開年1959年

製作国日本

配給

◇スタッフ

監督 松田定次 (マツダサダツグ)  

製作 大川博 (オオカワヒロシ)  

脚本 比佐芳武 (ヒサヨシタケ)  

企画 坪井与 (ツボイアタエ)   辻井公晴 (ツジイキミハル)   玉木潤一郎 (タマキジュンイチロウ)   坂巻辰男 (サカマキタツオ)  

撮影 川崎新太郎 (カワサキシンタロウ)  

音楽 深井史郎 (フカイシロウ)  

編集 宮本信太郎 (ミヤモトシンタロウ)  

録音 東城絹児郎 (トウジョウケンジロウ)  

照明 中山治雄 (ナカヤマハルオ)  

◇キャスト

俳優名役名

片岡千恵蔵 (カタオカチエゾウ)大石内蔵助

大友柳太朗 (オオトモリュウタロウ)堀部安兵衛

東千代之介 (アズマチヨノスケ)岡島八十右衛門

尾上鯉之助 (オノエコイノスケ)速水藤左衛門

北大路欣也 (キタオオジキンヤ)大石主税

南郷京之助 (ナンゴウキョウノスケ)前原伊助

沢村精四郎 (サワムラセイシロウ)矢頭右門七

片岡栄二郎 (カタオカエイジロウ)菅野三平

薄田研二 (ススキダケンジ)堀部弥兵衛

原健策 (ハラケンサク原健作)片岡源五右衛門

沢村宗之助 (サワムラソウノスケ)小野寺十内

小柴幹治 (コシバカンジ)横川勘平

五味勝之介 (ゴミカツノスケ)武林唯七

遠山恭二 (トオヤマキョウジ)大高源吾

那須伸太朗 (ナスシンタロウ)神崎与五郎

末広憲治 (スエヒロケンジ)潮田又之丞

中村幸吉 (ナカムラコウキチ)寺坂吉右衛門

徳大寺伸 (トクダイジシン)赤埴源蔵

宇佐美淳也 (Junya Usami)原惣右衛門

柳永二郎 (ヤナギエイジロウ)大野九郎兵衛

加賀邦男 (カガクニオ)三村次郎左衛門

山形勲 (ヤマガタイサオ)不破数右衛門

大河内傳次郎 (オオコウチデンジロウ大河内伝次郎)吉田忠左衛門

月形龍之介 (ツキガタリュウノスケ)橋本平左衛門

大川橋蔵 (オオカワハシゾウ)岡野金右衛門

中村錦之助 (ナカムラキンノスケ)浅野内匠頭

木暮実千代 (コグレミチヨ)りく

大川恵子 (オオカワケイコ)内匠頭夫人

植木基晴 (ウエキモトハル)大三郎

植木千恵 (ウエキチエ)お空

松浦築枝 (マツウラツキエ)おとわ

星美智子 (ホシミチコ)浦路

美空ひばり (ミソラヒバリ)おたか

市川右太衛門 (イチカワウタエモン)脇坂淡路守

長谷川裕見子 (ハセガワユミコ)戸田の局

千原しのぶ (チハラシノブ)お幸

丘さとみ (オカサトミ)糸路

桜町弘子 (サクラマチヒロコ)おかる

高島淳子 主水

吉野登洋子 (ヨシノトヨコ)生島太夫

花園ひろみ (ハナゾノヒロミ)初音太夫

雪代敬子 (ユキシロケイコ)青柳太夫

喜多川千鶴 (キタガワチヅル)小桜太夫

花柳小菊 (ハナヤギコギク)白菊太夫

吉田義夫 (ヨシダヨシオ)鈴木元右衛門

岡譲司 (オカジョウジ岡譲二)小林平八郎

杉狂児 (スギキョウジ)久兵衛

堺駿二 (サカイシュンジ)長吉

中村賀津雄 (ナカムラカツオ中村嘉葎雄)上杉綱憲

里見浩太朗 (サトミコウタロウ)綱吉

石井一雄 (イシイカズオ)田村右京太夫

榎本健一 (エノモトケンイチ)多右衛門

小沢栄太郎 (Eitaro Ozawa)多門伝八郎

清川荘司 (キヨカワソウジ)清水一学

加藤嘉 (カトウヨシ)荘田下総守

阿部九洲男 (アベクスオ)梶川与三兵衛

三島雅夫 (ミシママサオ)柳沢吉保

山村聡 (ヤマムラソウ)千坂兵部

進藤英太郎 (シンドウエイタロウ)吉良上野介

◇解説

「若さま侍捕物帳 紅鶴屋敷」の共同執筆者・比左芳武の脚本を、「隠密七生記(1958)」の松田定次が監督したお馴染の忠臣蔵。撮影は「隠密七生記(1958)」の川崎新太郎、音楽も「隠密七生記(1958)」の深井史郎。内蔵助に扮する片岡千恵蔵を筆頭に、東映のオールスターが出演している。

◇ストーリー※ストーリーには結末の記載を含むものもありますのでご注意ください。

◇桜花の巻--元祿十四年春。赤穂藩主浅野内匠頭長矩は勅使・院使の年賀答礼使伝奏接待役を命ぜられたが、諸式指南役の吉良上野介にことごとに意地悪い仕打ちを受けた。--晋光院二百畳の表替えは、堀部安兵衛の働きでことなきをえた。また、烏帽子大紋の式服を長裃と教えられたことも、片岡源五右衛門の深慮に救われた。--しかし、三月十四日、松の廊下での刃傷で、家は断絶、身は切腹となり、田村邸で内匠頭はその短い生涯を閉じた。--報せが赤穂へ飛び、藩論は二分した。城明しに応じ退転しようという大野九郎兵衛一派と、籠城して一戦を交えようという殉忠派である。病気の橋本平左衛門は一同の奮起をうながすため、腹を切った。大石内蔵助は彼の亡骸を抱いて慟哭した。彼は籠城決戦の決意を藩士たちに示した。勘気の身の不破数右衛門も駈けつけてきた。が、内蔵助の考えは二転、三転し残った人たちを前に、彼は内匠頭舎弟大学のお取立を願い、城明渡しを決めた。軍使脇坂淡路守の情けに感泣しながら、内蔵助らは赤穂城を去って行った。◇菊花の巻--伏見の遊里撞木町で、内蔵助は放蕩三昧を続けた。数右衛門の諌言にも耳をかさなかった。小林ら吉良家の間者たちが白刃を突きつけ、その心底を吐かせようとしたときも、魂の抜けた人のように士下座して謝るばかりだった。--故平左衛門の娘たかは吉田忠左衛門から吉良邸への間者になってくれと頼まれた。隠居所の建て方を調べる役目である。岡野金右衛門の祖母とわの願いで忠左衛門はたかと許婚の金右衛門に仮祝言をあげさせた。三々九度の杯が別れの盃だった。--上杉綱憲は上野介を米沢本家へ引き取ろうとしたが、家老千坂兵部は世論をおそれ、思い止まらせた。吉良邸への浪士の監視が続いた。安兵衛は安酒をあおる日が多かった。小山田庄左衛門、高田郡兵衛の二人は浪士から離脱していった。安兵衛と源五右衛門は京に上り、一文字屋で内蔵助に討入りの決行を迫った。内蔵助はお家再興を幕府に願い出てあるからと制した。が、その望みもむなしかった。内蔵助は妻子を離別し、ひそかに江戸へ下った。おたかは地図を入手していた。八十右衛門も情報をもたらし、討入りの日が決った。浪士たちも家族と別れて集ってきた。--元祿十五年十二月十四日。赤穂浪士は本所松坂町の吉良邸へ討ち入った。

(c) キネマ旬報社
(c) Variety Japan

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