●作品情報
幕末
| ◇基本データ | |
|---|---|
| タイトル | 幕末 |
| 公開年 | 1970年 |
| 製作国 | 日本 |
| 配給 | 東宝 |
| ◇スタッフ | |
|---|---|
| 監督 | 伊藤大輔 (イトウダイスケ) |
| 製作 | 小川衿一郎 |
| 脚本 | 伊藤大輔 (イトウダイスケ) |
| 撮影 | 山田一夫 (ヤマダカズオ) |
| 音楽 | 佐藤勝 (サトウマサル) |
| 美術 | 伊藤寿一 (イトウジュイチ伊藤壽一) |
| 編集 | 阿良木佳弘 (アラキヨシヒロ) |
| 録音 | 野津裕男 |
| スクリプター | 鈴木一成 |
| 照明 | 中山治雄 (ナカヤマハルオ) |
| ◇キャスト | |
|---|---|
| 俳優名 | 役名 |
| 中村錦之助 (ナカムラキンノスケ) | 坂本竜馬 |
| 三船敏郎 (Toshiro Mifune) | 後藤象二郎 |
| 仲代達矢 (Tatsuya Nakadai) | 中岡慎太郎 |
| 吉永小百合 (ヨシナガサユリ) | お良 |
| 仲谷昇 (ナカヤノボル) | 武市半平太 |
| 中村賀津雄 (ナカムラカツオ中村嘉葎雄) | 近藤長次郎 |
| 松山英太郎 (マツヤマエイタロウ) | 新宮馬之助 |
| 神山繁 (Shigeru Koyama) | 勝海舟 |
| 御木本伸介 (ミキモトシンスケ) | 桂小五郎 |
| 小林桂樹 (コバヤシケイジュ) | 西郷吉之助 |
| 片山明彦 (カタヤマアキヒコ) | 中平寅之助 |
| 二木てるみ (ニキテルミ) | 中平三和 |
| 山形勲 (ヤマガタイサオ) | 山田広衛 |
| 長島隆一 (ナガシマリュウイチ) | 池上多聞 |
| 大里健太郎 | 村嶋右之助 |
| 青山宏 (アオヤマヒロシ) | 弁斉 |
| 新田昌玄 (ニッタショウゲン) | 沢木将司 |
| 山本学 (ヤマモトガク山本學) | 千左右吉 |
| 奥田情 (オクダジョウ) | 志田秀躬 |
| 田中浩 (Hiroshi Tanaka) | 出石喜助 |
| 福本勇 (フクモトイサム) | 城戸伝次郎 |
| 神木真一郎 | 新見衛 |
| 橋本仙三 (ハシモトセンゾウ) | 安岡金馬 |
| 太田博之 (オオタヒロユキ) | 三神太郎次 |
| 尾形伸之介 (オガタシンノスケ) | 千葉重太郎 |
| 植田多葉子 | 才女万里 |
| 天田俊明 (アマダトシアキ) | 品川弥次郎 |
| 浅若芳太郎 (アサワカヨシタロウ) | 牟田 |
| 安田隆 (ヤスダタカシ) | 朽尾 |
| 成合晃 | 幾久 |
| 江原真二郎 (エバラシンジロウ) | 三吉慎造 |
| 大辻伺郎 (オオツジシロウ) | 四十吉 |
| 保積ペペ (ホヅミペペ) | 佐市 |
| 江利チエミ (Chiemi_Eri) | 小万 |
| 緋多景子 | 於福 |
| 高野宏美 (タカノヒロミ) | おちよ |
| 渡辺篤史 (ワタナベアツシ) | 菅(士官) |
| 沢井三郎 (サワイサブロウ) | 布施市之丞 |
| 中村時之介 (ナカムラトキノスケ) | 伊東甲子太郎 |
| 香川良介 (カガワリョウスケ) | 藤吉 |
| 香川桂子 (カガワケイコ) | 乙女 |
| ◇解説 |
|---|
| 「徳川家康」の伊藤大輔が脚本、監督した歴史もの。撮影は「新選組(1969)」の山田一夫。 |
| ◇ストーリー | ※ストーリーには結末の記載を含むものもありますのでご注意ください。 |
|---|---|
| ある雨の日、不自由な足に下駄を引摺った一人の小商人が藩の上士・山田にぶつかり無礼討ちされた。土佐藩では士分以外に下駄は禁制。下士・中平は怪我人に下駄と雨傘を与えた親切があだとなり、「御法度破りの同類」として山田のために討ち果たされた。この一件は烈しく坂本竜馬の心魂を揺ぶり故郷の土佐を脱藩させた。江戸を訪れた竜馬は、かつて剣の腕を磨いた千葉道場に落着いた。千葉は時の幕府海軍奉行、勝海舟を開国論者の先鋒とみて、嫌っていた。しかし、竜馬は海舟を邸に訪ね、立場こそ違え互に国を愛し、国を憂うる心に違いないことを知った。ちょうど、勤王倒幕の雄藩、薩・長二藩の主導権争い激しき折りだった。慶応元年。竜馬は長崎に「社中」を創設し海運業に乗りだした。だが、竜馬は海運業に携わるよりも、中岡と共に薩・長二藩連合のために奔走する方が多かった。その留守を預る近藤が「社中」規約違反の廉で詰腹を切らされ、中岡は同志のケチな差別根性を嚇怒した。同正月二十日。竜馬は長州の桂と薩摩の西郷との間を周旋して、ついに両藩積年の確執と反目を解消させた。だが、それと同時に竜馬は幕吏に狙われるところとなり、お良と結婚したものの安住の地はなかった。が、幕威に比し薩・長二藩の実力は伸長していた。この現実に周章したのは公武合体論の士佐藩だった。土佐藩家老後藤象二郎は竜馬に助言を求めた。竜馬は「将軍慶喜をして大政を奉還せしめる」ことを説いた。慶応三年十月十五日“朝廷勅して大政奉還の請願を許す”その頃、竜馬は河原町通りの醤油商・近江屋に下宿。十一月十五日、風邪の見舞に来た中岡と竜馬は「新政府綱領八策」について議論した。刺客が疾風の如く躍り込りこんで、二人の生命を奪い去ったのは、その最中だった。時に竜馬三十三歳、中岡三十歳であった。 | |
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(c) Variety Japan
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